ゼロでなくてもいい〜限りなくゼロに近い事に意味がある〜

 

もちろん、殺処分ゼロを目指す事にはものすごく有意義な意味があります。

ゼロに近いということは、それだけ全体の意識が高いという事なので。

でもその結果の統計上の数字が1でも3でも10でも、実質的には変わらないと思うのです。

ゼロという数字に必要以上にこだわることによって、変にいざこざが起こったり、

煩わしさがあるのなら、別に0という表示になっていなくてもいいのになあと思います。

 

誤解の無いように補足しますが、一匹くらいは殺処分してもいいんじゃない?と言っているのでは決してありません。

現場ではおそらく様々なケースがあって、有識者のいろいろな見解や判断があり、その結果やむを得ない事もあるのではと想像します。

 

結果が「0」という表示になることが重要ではなくて、

限りなくゼロに近づくために全体の意識が高まることが重要なのだと思います。

 

更に言うと、殺処分ゼロは何も特別なことではなくて普通の事。

殺処分ゼロ=動物愛護 ではないでしょう。

年間で10万頭を超える処分数という異常な現状の日本において、動物愛護の意識を高めるための指針の一つに殺処分ゼロという分かりやすい目標があるだけの事であって、解決しなければいけない動物に関する問題はいろいろあります。

野良猫の問題、生体販売の問題、多頭崩壊の問題。。

あーでも、これらの問題がことごとく、殺処分へつながっているようにも思います。

 

結局のところ、

今の動物をとりまく問題を、みんなで知る、みんなで考える、みんなで何かをする。

意識が高まれば自然に、殺処分は限りなくゼロに近づいていく。

という事でしょうかね。

 

環境省統計資料

犬・猫の引取り及び負傷動物等の収容状況(全国統計)

 

 

※写真は本文とは無関係です

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