こんばんは。二年のSです。初投稿です。なにか書けと言われたので、猫について書きます。
猫を飼い始めて分かったのは、こいつらの魅力が尋常ではないということです。
ペットの代表はと聞かれたら多くの人は犬と猫と答えるでしょうが、最近ではそのペットを伴侶動物と呼ぶらしく、これは、かつては物だった動物を一人の人格に昇華していると言えるでしょう。辞書で調べたら、伴侶の意味は「ともなう者。連れ。仲間。」とあります。これは人間と彼らをほぼ対等に扱っているかんじがします。かつてペットと呼ばれていた動物の地位はどんどん上昇しています。このまま上昇し続ければ人間と動物の地位は逆転し、犬や猫が「神動物」とか「至上生物」とか呼ばれる時代が来るかもしれません。それで、犬か猫、どちらか伴侶を選べと言われたら断然猫なのです。今から私が猫を選んだ理由を説明します。
第一にその性格です。猫は人間の思い通りになりません。犬の従順さを思い出してもらえば、これは皆さんに納得していただけると思います。犬は人間に媚びすぎです。それは家畜やペットに相応しい様に人間が品種改良を繰り返した結果だ、という話はこの際関係ありません。私は忠義とか忠誠というものがあまり好きではないので、犬のおもねりっぷりを見ていると、もっと自分のために生きなさいと犬語で言ってやりたくなるのです。その点猫は自分のために生きようとします。それはつまり猫は、人間に不如意を強いるということです。こんなことがありました。
私は実家でまるという猫を飼っています。ある日私は、「水をあまり飲まない猫は腎臓病になりやすい」という話を小耳に挟みました。これは大変だと思い、コップ一杯に水を汲み、それをまるの前に置きました。目の前に置けば飲むと思ったのです。しかしまるは水に鼻を近づけ、においを嗅いだような仕草を見せると、そっぽを向いて歩きだしてしまいました。私は執拗に、まるの前に水の入ったコップを置き続けましたが、まるは全く飲んでくれませんでした。諦めた私は、コップを水の入ったまま流しの近くに置きました。すると、置いてすぐに、まるはコップまで歩み寄り、激しい運動を終えた後のスポーツ選手のように、勢いよく水を飲み始めたのです。このとき私は猫のままならなさを知りました。
しかしこのままならなさが心地よいのです。真に対等な俺とお前というかんじがします。私は対等が好きです。いや、やっぱり対等ではありません。猫は飼い主を尻に敷きます。「人間はにゃあと鳴けばドアを開けてくれたり、興が乗るくらいに猫じゃらしを振ってくれたりするマシーンだ。人間は足が遅くて、ねずみや虫も捕まえられないウスノロだから、たまには捕ってきて分け前を与えてやらにゃいかん」と猫は考えているそうです。近所の半野良猫が言っていました。また、比喩じゃなくて、猫は本当に飼い主を尻に敷きます。人間は我々の土台、大きめのあんか、と彼らは思っているのです。実家のまるは、祖母や母の上でよくまどろんでいます。骨っぽい私にはあまり乗ってきません。
私はかしずかれるよりもかしずく方を、どちらかと言うと好みます。そうしたらやっぱり猫です。
続く